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なぜな~ぜ?

なぜ日本は左側通行なの?

理由の確実性:不明 起源を断定できません 歴史的経緯 / 最終確認
片側3車線の日本の国道。中央分離帯で上下線が分けられ、路面に車線の白線と進行方向の矢印が引かれている
日本の国道。車が道路の左側を通行することは道路交通法で定められています。ただし「なぜ左なのか」は、条文のどこにも書かれていません。 LERK / CC BY-SA 4.0出所

まず答え

現在の理由は法律です。道路交通法第十七条第四項が、車両は道路の中央から 左の部分を通行しなければならないと定めています。ただし「なぜ左を選んだのか」は 別の問いで、その起源を裏づける一次資料は今回の調査では確認できませんでした。 刀の説も英国由来説も、規則や公文書に選定理由として書かれていません。

くわしく知る
道路交通法が左側通行を定めているからです。ただし、なぜ左になったのかという 起源については、それを裏づける一次資料を確認できていません。
車が道路の左がわを走ることは、法律できまっています。 でも「どうして右ではなく左にしたのか」は、じつははっきり分かっていません。 「むかしの武士が刀を左にさしていたから」という話もありますが、たしかめられていません。

理由を分解する

「原因」と「目的」、確認できたことと確認できていないことを分けて示します。

道路交通法が「左側部分を通行しなければならない」と定めているから

最大の理由 現在の理由 法律・制度

道路交通法第十七条第四項は、車両は道路の中央から 左の部分(左側部分)を通行しなければならないと定めています。

これが現在の理由のすべてです。慣習でも運転者の好みでもなく、 違反すれば通行区分違反になります。

注意したいのは、この条文に「なぜ左なのか」は書かれていないことです。 法令は決まりを示しますが、決めた理由までは示しません。

起源とされる説は、いずれも一次資料で確認できなかった

確認できていない説 起源 歴史的経緯

「武士が刀を左腰に差していたから」「明治政府がイギリスにならったから」—— この2つが広く語られています。

ただし今回の調査では、これらを選定理由として記した規則・公文書を 確認できませんでした。 確認できたのは現行の道路交通法だけです。

本サイトはここで断定しません。確認できていないものは、 確認できていないと書きます。

いったん決まった通行区分は、変える側にすべての負担がかかるから

その他の理由 現在の理由 法律・制度

「なぜ変えないのか」は答えられます。

沖縄県公文書館は、1978年に沖縄で右側走行から左側走行への変更が行われ、 変更直後の混乱の中、交通事故が相次ぎ、那覇など都市地区では交通マヒが 続いたと記しています。

切り替え作業そのものは一晩で終わりました。負担は作業ではなく、 人の慣れが追いつかない期間に集中します。

いつからそうなった?

現在の形になるまでの経緯です。

1945

沖縄が米国施政権下に入り、右側走行になる

沖縄県公文書館は、沖縄の交通方法が米国施政権下から33年にわたって 米国式の車両右側走行だったと記しています。同じ国の中に、 通行区分の違う地域が存在していたことになります。

1972

沖縄が日本に復帰。ただし通行区分は右のまま

復帰と同時には切り替えられませんでした。公文書館の記述では、 左側走行になったのは日本復帰から6年後です。 制度の変更と、道路上の変更が同時ではなかったことが分かります。

1978

7月30日、8時間で左側走行へ切り替え(730)

7月29日午後10時に全県で車両止め・駐車禁止の特別交通規制が敷かれ、 通行区分の切り替え作業が始まり、翌30日午前6時に完了しました。 実施日にちなんで「ななさんまる」と呼ばれます。

よくある説は本当?

世間で言われている形のまま検証します。断定できないものは断定しません。

根拠不足

「武士が刀を左腰に差していて、すれ違うときに鞘がぶつかるのを避けたから左側通行になった」

非常に有名な説明ですが、これを選定理由として記した一次資料を 確認できませんでした。

話としては筋が通っています。ただし「筋が通ること」と 「実際にその理由で決めたこと」は別です。後者を示すには、 決めた側が理由を書き残している必要があります。

否定はしません。根拠が確認できていないという判定です。

根拠不足

「明治政府がイギリスの制度にならったから左側通行になった」

これも広く語られていますが、同じく一次資料を確認できませんでした。

なお、イギリスが左側通行であること自体は確認できます。政府が定める The Highway Code のルール160が「keep to the left」と明記しています。 確認できるのは「両国とも左である」ことまでで、 「一方が他方を真似た」ことではありません。

同時代に同じ選択をした国は他にもあります。一致は、影響の証明になりません。

日本だけ?

国や地域による違いと、その違いが生まれた理由。

地域 状況
日本

道路交通法第十七条第四項が「道路の中央から左の部分」の通行を義務づけています。左側通行

イギリス

政府が定める The Highway Code のルール160が「Once moving you should keep to the left」としています。左側通行

ドイツ

道路交通規則(StVO)第2条が「Es ist möglichst weit rechts zu fahren」(できるだけ右寄りを走ること)と定めています。右側通行

アメリカ(カリフォルニア州)

州の車両法21650条が「a vehicle shall be driven upon the right half of the roadway」としています。連邦法ではなく州ごとの法律で定められている点が日本と違います。

もし今から右側通行に変えたら?

これは想像ではありません。逆向きの変更が、実際に日本国内で行われています。

沖縄県公文書館によれば、1978年7月29日午後10時に全県で車両を止め、 翌30日午前6時に切り替え作業が完了しました。所要は8時間です。

問題はそのあとでした。同館は、変更直後の混乱の中で交通事故が相次ぎ、 那覇など都市地区では交通マヒが続いたと記しています。

通行区分を変える難しさは、工事の量ではなく、 体に染みついた動作を一斉に書き換えられないことにあります。

答えが2つある問い

この疑問には、混ざりやすい2つの問いが入っています。

  1. いま左側なのはなぜか → 法律で決まっているから
  2. なぜ左を選んだのか → 一次資料で確認できていない

1つ目は明快です。道路交通法第十七条第四項が、車両は道路の中央から 左の部分を通行しなければならないと定めています。

2つ目が、この記事が「不明」としている部分です。

法令は「決まり」を示しますが、「理由」は示しません

条文に書いてあるのは「左側部分を通行しなければならない」までです。 なぜ右ではなく左にしたのかは、条文のどこにも書かれていません。 法令を引用できることと、理由を確認できることは別です。

世界は割れている

左が正しく右が間違っている、という話ではありません。 各国が自国の法令で、それぞれ反対のことを定めています。 条文そのものは「日本だけ?」の節に並べました。

そこで気づいてほしいのはアメリカの行です。日本・イギリス・ドイツは 国の法令が通行区分を定めていますが、アメリカで定めているのは州の法律です。 左か右かだけでなく、どのレベルの政府が決めているかも国によって違います。

一晩で変えた実例が、日本国内にある

「もう決まっているから変えられない」と説明されがちですが、 実際に変えた地域が日本にあります。

1978年7月30日、沖縄で右側通行から左側通行へ切り替えた8時間の流れ 7月29日午後10時に全県で車両を止め、標識と道路標示の切り替え作業を行い、 翌30日午前6時に完了した。所要は8時間。切り替え直後は事故が相次いだ。 切り替え前(33年間) 車は道路の右側(米国式) 7/29 22:00 全県で車両止め・駐車禁止 標識・標示の一斉切り替え 7/30 06:00 作業完了。左側通行へ わずか8時間 切り替え後 車は道路の左側(本土と同じ)
通行区分は、一晩で切り替えられます。沖縄県公文書館によれば、 7月29日午後10時に全県で車両を止め、翌30日午前6時に作業が完了しました。 物理的には8時間です。それでも変更が滅多に起きないのは、 作業の長さではなく、そのあとに起きることが理由です。 同館は、変更直後に事故が相次ぎ、都市部では交通マヒが続いたと記しています。

沖縄県公文書館によれば、沖縄の交通方法は米国施政権下から33年にわたって 米国式の右側走行で、日本復帰から6年後の1978年に左側走行へ変わりました。

切り替えは7月29日午後10時に始まり、翌30日午前6時に完了しています。 8時間です。

石垣島の交差点に置かれた記念碑。自然石に青色で「730」と大きく刻まれ、上部に矢印を組み合わせた記章がある
石垣島の730記念碑。1978年7月30日、沖縄の交通方法が右側通行から左側通行へ変更されたことを記録しています。 Shig ISO / CC BY 2.0出所

難しいのは工事ではなく、人だった

では、なぜ通行区分の変更が滅多に起きないのか。

同館は、変更直後の混乱の中、交通事故が相次ぎ、那覇など都市地区では 交通マヒが続いたと記しています。

標識は塗り替えられます。しかし「交差点で反射的にどちらを見るか」は 塗り替えられません。コストは道路にではなく、人の側にかかります。

制度の変更と、道路の変更は同時ではなかった

沖縄が日本に復帰したのは1972年ですが、通行区分が変わったのは1978年です。 法的な地位が変わっても、道路上の運用が追いつくまでには6年かかりました。

「もっともらしさ」は根拠ではない

刀の説は、よくできた説明です。左腰の鞘同士がぶつかるのを避けるなら、 確かに左に寄るほうが理にかなっています。

しかし説明として成立することと、実際にその理由で決まったことは別です。 後者を示すには、決めた側が理由を書き残している必要があります。 今回の調査では、それを確認できませんでした。

イギリス由来説にも同じことが言えます。両国とも左側通行であることは 双方の規定で確認できますが、一致していることは、影響を与えたことの証明になりません。

何が確認できて、何ができていないか

主張 状態
日本の車両が左側部分を通行する義務がある 道路交通法 第十七条第四項
イギリスが左側通行である The Highway Code Rule 160
ドイツ・カリフォルニア州が右側通行である 各国・各州の法令
1978年に沖縄で右から左へ変更された 沖縄県公文書館が公表
切り替えに要したのが8時間だったこと 沖縄県公文書館が公表
武士の刀が理由であること 確認できず
イギリスにならったこと 確認できず

この記事は「分からない」を答えとして提示しています。 分かっている部分だけを、分かっている根拠とともに示すほうが、 もっともらしい物語を1本用意するより役に立つと考えるためです。

根拠・出典

URLの実在と、引用が本文に実在するかを機械的に検証しています。

Tier 1 法令・政府・自治体 検証済み

道路交通法 第十七条

e-Gov 法令検索(デジタル庁) / 確認日 2026年8月8日

左の部分(以下「左側部分」という。)を通行しなければならない
Tier 1 法令・政府・自治体 検証済み

1978年7月30日 7・30(ななさんまる)交通方法変更

沖縄県公文書館 / 確認日 2026年8月8日

米国施政権下から33年にわたって米国式の車両右側走行でしたが、日本復帰から6年後、他都道府県と同じ左側走行となりました
Tier 1 法令・政府・自治体 検証済み

1978年7月30日 7・30(ななさんまる)交通方法変更

沖縄県公文書館 / 確認日 2026年8月8日

通行区分の切替え作業が開始され、翌30日午前6時に作業が完了しました
Tier 1 法令・政府・自治体 検証済み

1978年7月30日 7・30(ななさんまる)交通方法変更

沖縄県公文書館 / 確認日 2026年8月8日

変更直後の混乱の中、交通事故が相次ぎ、那覇など都市地区では交通マヒが続きました
Tier 1 法令・政府・自治体 検証済み

The Highway Code, Rule 160(英国政府)

GOV.UK / Department for Transport / 確認日 2026年8月8日

Once moving you should keep to the left, unless road signs or markings indicate otherwise
Tier 1 法令・政府・自治体 検証済み

Straßenverkehrs-Ordnung (StVO) § 2(ドイツ道路交通規則)

Bundesministerium der Justiz / 確認日 2026年8月8日

Es ist möglichst weit rechts zu fahren
Tier 1 法令・政府・自治体 検証済み

California Vehicle Code § 21650(米国カリフォルニア州車両法)

California Legislative Information / 確認日 2026年8月8日

Upon all highways, a vehicle shall be driven upon the right half of the roadway

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